長寿村の秘密は「粗食」だった


大学の栄養学科を出て、専門学校で栄養学を教えていた私が、自分が学び、人にお教えている現代の「栄養学」に疑問を持ち始めたきっかけは、一つの新聞記事であった。朝日新聞に「ほろびゆく長寿村」という記事が載っていて、実に興味深い「食生活」と「健康」と「長生き」の関係を示していた。(17Pの新聞記事を参照)

その長寿村とは、山梨県北都留郡上野原町棡原といい、県の東端に位置し、東京都と神奈川県に接しているところであった。私は生徒数名と実際に行ってみたが、その時受けたショックは今でも強烈に頭に焼きついている。そこで見たものは、70歳、80歳の人が元気に働いていて、40歳、50歳の人たちのほうが次々と病気で倒れているという現実であった。

毎年、棡原の巡回検診を行っていた古守病院院長、古守豊甫医学博士は、「村を歩いてみると、大正生まれの中年の多くが成人病で急死、あるいは不如意なせ生活を送っていて、村人は何かのたたりだとおののいていたんです。しかるに、この現象はやがて昭和1ケタ生まれにも波及し、今日に及んでいます。明治生まれの老父母が中年の子供に先立たれるのを、村人は逆仏と呼んでいます」と述べていた。

そして、実際に長生きしている人たちに「食生活」にいつて聞いてみると、麦やアワ、キビ、ヒエなどの雑穀、芋類を主食にして、野菜や山菜などを副食にしてきたという。肉や牛乳、乳製品などはほとんど食べずに生きてきたわけだ。

そのような一見「粗食」に見える食生活をしながら、女性は多産で母乳の出ない人などいなかったという。それが最近では白米一辺倒、肉、乳製品、卵中心の食生活に変わり、このような食生活で育った若い世代に「成人病」が急増し、死亡者も増加しているというのだ。

棡原は、中央線上野原駅から十数キロの山深い場所にある。交通が不便だったため、他地域との交流が難しく、好むと好まざるとにかかわらず、自給自足に近い食生活をしてきたわけだ。ところが、近年、道路が整備され、バスが開通し、他地域との交流が容易になるとともに、食生活も含めて生活全般が急変してしまったというのである。

その結果が、「粗食」を続けたきた高齢者は元気に暮らし、「豊かな食生活」の若い人が病気で倒れるという現象を生み出してしまった。

そのことは、昭和40年世代以後において、45歳〜65歳の年齢層は、それ以前に比べて死亡率が明らかに上昇していることからも分かる。そして、この「中年層」の短命化は、調査の結果、「戦後の食生活の変化が大きな原因である」と古守博士は結論づけているのである。

まさに、現在を予測する食生活の「祖食」と「飽食」の時代の狭間を見る思いがした。

戦後の"栄養教育"は、一貫して「タンパク質が足りないよ」のかけ声とともに、肉、牛乳、卵といった動物性食品を優秀な食物として指導してきたのだ。これらの食品を「完全栄養食品」とさえ呼んでいた。

その「成果」であろう。戦前と、棡原の「食生活が豊か」になった昭和50年頃とを比べると、肉類は10倍、卵は6.4倍、牛乳・乳製品は19倍も食べるようになっている。

理屈はどうであれ、70歳、80歳の老人が元気に働き、肉、卵、牛乳を多食するようになった世代の人たちが病気に倒れている姿を現実に目の当たりにしたとき、私は自分の教えている現代の「栄養学」は本当にいいのだろうかと、考えれば考えるほど疑問が出てきたのだ。

日本は世界一の長寿国だといわれている。100歳以上の一は5593人(平成6年9月現在)いる。このような状況をみると、「日本人の食生活は理想的だ」という言葉も真実のように聞こえてしまうかもしれない。

しかし、100歳以上の人たちが何を食べてきたのか、からだを作りあげる若い頃は何を食べていたのかと考えてみると、明治生まれの人たちが、肉や牛乳をたくさん食べて育ってきたはずはない。決して、今の食生活によって長生きしてきた人たちではないのだ。

逆に肉、卵、牛乳などをたくさん食べている現代人、生まれた時から食べ続けている現代の子供たちの健康状態が良くなっているかといえば、答えは「ノー」といわざるをえない。

例えば、成人病の急増、子どもたちのアトピー若い女性の貧血、冷え性、便秘といった症状に悩む人が多くなった現象など、私にはどうしても、今の日本人の食生活が正しいとは思えないのである。


※幕内 秀夫著「祖食のすすめ」P14〜P18より転載。
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