ある象使い『お前たちはみんな正しい。しかしまた、みんな間違ってもいるのだ』


「六人の息子をもつ、ある象使いがいました。しかしその息子たちは、みな目が見えませんでした。ある時、象使いは息子たちに象を洗う仕事を言いつけたのですが、息子たちはその仕事を終えると、象とはいったいどのような動物なのかと議論を始めました。
『かんたんだよ、象とは二本の大きな骨だよ』と、一人が言いました。その子は象の牙を洗ったのです。
『どうしてそんなことが言えるの』と別の子が異議をとなえて『象とは太いロープのようなものだよ』といいました。その子は象の鼻を洗ったのです。
三人目の子は象とはひと組の大きな団扇のようなものだと言い張りました。その子は耳を洗ったのです。
四人目の子は、象とは四本の柱のようだと言いました。足を洗ったからです。
五人目の子は象の横腹を洗いました。その子は息をする壁だと表現しました。
最後の六人目の子は大声で『みんな馬鹿にしないで。触ったのだから僕には分かっているよ。象とは宙に垂れ下がっている紐のようなものだよ』と言いました。その子は象のしっぽを洗ったのです。

その子供たちはそれぞれ自分の意見を主張して、激しい議論になりました。しばらくして入ってきた父親は、息子たちが互いに言い争っているを知りました。ますますいがみ合うのを見て、父親は大声で『息子たちよ、お前たちの争いはまったく馬鹿げている』と笑いながら言いました。
『馬鹿げてなんかいません。私のことを嘘つき呼ばわりするのですよ!他の者たちが嘘つきなのに』と大声で一人の息子が言いました。
『かわいい息子たちよ』なだめるように父親は言いました。『皆は、それぞれ象の一部分を洗っただけで、全体を見えるのは私ひとりなのだ。それぞれが、これがすべてだと思っているけれども、象は、皆の想像をはるかに超えたものなのだよ』
父親は象がほんとうはどんな姿なのか説明を続けました。『だから、いいかい息子たちよ、お前たちはみんな正しい。しかしまた、みんな間違ってもいるのだ』そう言って話を終わりました。
こうしたことは神に関しても起きます。さまざまな宗教での神へのアプローチに関して同じことが起きるのです。神は一つです、しかし神への道は様々です。神の体験され方、神の説明され方、それらにもまた数限りない道があるのです」
そう言ってパラマハンサ・ヨガナンダは話を締めくくりました。


※インドの聖者「パラマハンサ・ヨガナンダ」の本から転載。